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「知恵によって得るものは 」 (箴言3章.7)
「いかに幸いなことか、知恵に到達した人、英知を獲得した人は。」 (13節 )
この知恵は決して神の御言葉を超えません。むしろ、神を 畏 ( おそ ) れて、その御言葉の下にとどまることこそ、この知恵の本質です。アダムとエバは、神の御言葉を超えて賢くなろうとしました。
「女が見ると、その木はいかにもおいそうで、目を引き付け、賢くなるように 唆 ( そそのか ) していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。」 (創世記3:6)
しかしその結果、神の祝福を失ってしまいました。
「知恵によって得るものは銀によって得るものにまさり、彼女によって収穫するものは金にまさる。真珠よりも貴く、どのような財宝も比べることはできない。右の手には長寿を、左の手には富と名誉を持っている。」 (14−16節)
神の御言葉への信頼と服従によって得られるものは、人間の賢さによって得られる全てのものにまさっています。イエス様が語られた「 放蕩 ( ほうとう ) 息子のたとえ」に登場する人は、全財産を相続すると、遠く離れた土地へ行って、何もかも自分勝手に使い果たしてしまいました。 (ルカ15:11以下) その時、その地方に 「ひどい飢饉」 が起こりました。いったい、その飢饉の時、彼は何に飢えたのでしょうか。神に逆らっても、金銀を得ることはできます。名声を得ることもできるかもしれません。しかし、そこには、父の所には有り余るほどあるものがありません。何がないのでしょうか。神の祝福がありません。神の祝福を持つ人は、持っているものはいかに 僅 ( わず ) かでも、幸いです。
「主に従う人が持っている物は 僅 ( わず ) かでも、
主に逆らう者、権力ある者の富にまさる。」 (詩編37:16)
「 稼 ( かせ ) ぎは多くても正義に反するよりは、
僅 ( わず ) かなもので恵みの業をする方が幸い。」 (箴言16:8)「死んだ 蠅 ( はえ ) は香料作りの香油を 腐 ( くさ ) らせ、臭くする。
僅 ( わず ) かな 愚行 ( ぐこう ) は知恵や名誉より高くつく。」 (コヘレト10:1)