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「慈しみとまこと」 (箴言3章.2)12/16/2007

「慈しみとまことがあなたを離れないようにせよ。
それらを首に結び、心の中の板に書き記すがよい。」
(3節 )

 「慈しみ」 とは、人の罪と背きを赦して祝福してくださる神の愛です。
主の御言葉の中に、その内容を見ることができます。また、 「まこと」 とは、語られたことをことごとく実行なさる神の真実です。 (イザヤ55:8−11) 人の真実はしばしば都合によって変わりますが、神の真実は変わりません。
 「慈しみとまことを首に結ぶ」 とは、それらをわたしたちの真の誉れとすることを意味しています。どんな境遇であれ、 「慈しみとまこと」 があるなら、わたしたちは惨めではありません。高価な首飾りをつけた人がそれを誉れとするように、 「慈しみとまことを首に結んで」 どんなときにもそれを唯一の誉れとするのです。

 「慈しみとまことを心の中の板に書き記す」 とは、よく記憶して、自分の思考、感情、行動の全体にそれらを適用することです。すなわち、 「家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも」 それを忘れないようにするのです。 (参考 申命記6:4−9) しかし、やむをえない義務のように、そうするのではありません。それでは、心が閉じられたままです。 「心の中の板に書き記す」 とは、主を愛して心を開き、主の 「慈しみとまこと」 を心の喜び、楽しみとすることに他なりません。

「そうすれば、神と人の目に好意を得、成功するであろう。」 (4節)

  この 「好意」 は、人々の気持ちだけに依存した不確かな好意ではありません。人の目だけではなく、神の目にもかなう真実で失われることのない好意です。また、その 「成功」 は、神の知恵によってもたらされる成功です。人の成功は草の花のようですが、神の知恵によってもたらされた成功は神の言葉と共に永遠に変わることがありません。

「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。
草は枯れ、花は散る。
しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」
(第一ペトロ1:24−25)