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「生涯の日々は増し」 (箴言3章.1)
「わが子よ、わたしの教えを忘れるな。わたしの戒めを心に納めよ。
そうすれば、命の年月、生涯の日々は増し、平和が与えられるであろう。」 (1−2節 )
「命の年月、生涯の日々」 が増すことは、神の祝福です。主は、ご自身に従う者に長寿を約束しておられます。
「あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。」 (出エジプト20:12) 「今日、わたしが命じる主の掟と戒めを守りなさい。そうすれば、あなたもあなたに続く子孫も幸いを得、あなたの神、主がとこしえに与えられる土地で長く生きる。」 (申命記4:40)
しかし、その一方で、聖書は長寿には大変な困難が伴うことをも教えます。ヤコブはこう告白しました。 「わたしの旅路の年月は130年です。わたしの生涯の年月は短く、苦しみ多く・・・」 (創世記47:9) また、コヘレトはこう教えます。 「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。『年を重ねることに喜びはない』と言う年齢にならないうちに。」 (コヘレト12:1)
主が与えてくださるのは単なる長寿ではなく、平和(シャローム)を伴う長寿です。 「命の年月、生涯の日々は増し、平和(シャローム)が与えられるであろう。」 (2節) この平和は広い意味を持っており、神との平和、人との平和、心身の平和を意味しています。このような平和を伴う長寿を生きるときに初めて、長寿は幸いです。神との平和がなく、人との平和もなく、心身の平和もないままに、永遠に長生きしなければならないとしたなら、誰が耐えられるでしょうか。
「わたし(神の知恵)を見失う者は魂をそこなう。わたしを憎む者は死を愛する者。」 (箴言8:36)
確かに主の僕たちは、平和を伴う長寿を生きていました。そして、今も生きています。 「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」 としてご自身を現される神は、死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。 (マタイ22:32) 彼らは皆死んで葬られましたが、今なお神に対して生きています。
そして、彼らは今なお住むべき場所を与えられています。
「神は、彼らのために都を準備されていたからです。」 (ヘブライ11:16)