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「善人の道」 (箴言2章.5)11/25/2007

「こうして、あなたは善人の道を行き、
神に従う人の道を守ることができよう。」
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  時が良くても悪くても 「善人の道」 があります。それは、神に従う人々が実際に歩んだ道です。それゆえ、道に迷う時には、彼らの歩んだ道を聖書に探し求めましょう。次のように勧められています。
「あなたがたが怠け者とならず、約束されたものを受け継ぐ人たちに見 倣 ( なら ) う者となってほしいのです。」 (ヘブライ6:12)
 
「善人の道を行く」 とは、何の罪もあやまちも犯さずに進むということではありません。そのような善人を、聖書は知りません。聖書によって示されている善人とは、どんな罪を犯しても神に従う道に立ち返る人々です。神に従う道を踏み 外 ( はず ) して迷い込むとき、その道は予想以上に広々としています。また、多くの人々がその道を歩んでいます。 (マタイ7:13) そのまま歩んだところで、それを責める人はほとんどいないかもしれません。 晩年 ( ばんねん ) のソロモンはそのような道に迷い込みましたが、だれも彼を責めはしませんでした。そして、 「主が二度も彼に現れ」 、戒めてくださったにもかかわらず、神に立ち返ることはありませんでした。 (列王上11:9−10) それに対して、ダビデは預言者ナタンに自分の罪を指摘されたとき、悔い改めて神に従う道に立ち返りました。 (サムエル下12:13) なぜ、ソロモンは立ち返らず、ダビデは立ち返ったのでしょうか。ダビデは、その道を喜んでいたのです。

「いかに幸いなことでしょう。まったき道を踏み、主の律法に歩む人は。」 (詩編119編)
善人の道を行く人とは誰でしょうか。
主の御言葉を喜びとして、主に従う人々です。

「正しい人は地に住まいを得、無垢な人はそこに永らえる。
神に逆らう者は地から断たれ、欺く者はそこから引き抜かれる。」
(21−22節)


  確かに、地上の生涯だけで判断するなら、 「善人の道」 を行った人々は苦労や難しさの多い道を 敢 ( あ ) えて進んだように見えます。しかも、約束されたものを手に入れませんでした。しかし、彼らは 「はるかにそれを見て喜びの声をあげて」 いました。
「神は、彼らのために都を準備されていたからです。」 (ヘブライ11:13−16)

時が良くても悪くてもこの道を行きましょう。