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「主は・・・備えて、・・・守り、・・・見守ってくださる。」 (箴言2章.2)10/21/2007

「知恵を授けるのは主。
     主の口は知識と英知を与える。」
6節

主を知ろうとする人は、「銀を求めるように」それを尋ね、「宝物を求めるように」捜し続けなければなりません。(4節)そのような人は、ますます主を知るようになるでしょう。その努力と犠牲がむなしくなることは決してありません。
「知恵を授けるのは主。主の口は知識と英知を与える。」
(6節)
しかし、反対にそのような努力を軽んじる人は、ますます「神などない」と確信するようになるでしょう。(参考 詩編14:1)
「だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。」
(マタイ25:29)

「主は正しい人のために力を、完全な道を歩く人のために盾を備えて、
裁きの道を守り、主の慈しみに生きる人の道を見守ってくださる。」 (7−8節)

大変な努力と犠牲を払ってまで主を知ることに、何か良いことがあるでしょうか。
「主は正しい人のために力を・・・備えて」
くださいます。
この「力」は、物事の真相を「見分ける力」です。(箴言8:14)
さらに「主は完全な道を歩く人に盾を備えて」くださいます。主が保護してくださるのです。
主はそのようにして、わたしたちに行くべき道を見分けさせ、その道を行けるようにしてくださいます。

 そのような主を知ることなしに正しい道を知ろうとした人々は、偽善に陥りました。
「彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために指一本貸そうともしない。」(マタイ23:4)

そして、人々の前で天の国を閉ざして「自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない」有様でした。(マタイ23:15)また、主を知らずに負い切れない荷を負わされた人々も、飼い主のない羊のように弱り果てていました。(マタイ9:36)

主を知ることなしに、誰も行くべき道を安全に進むことはできません。
確かにその歩みは羊のように弱々しく、
遅々として進まないように思われるかもしれません。
しかし、羊飼いなる主に導かれて、確かに行くのです。
死の陰の谷さえ越えて行くのです。