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「神を知ることに到達するであろう」 (箴言2章.1)10/14/2007

「あなたは主を畏れることを悟り
      神を知ることに到達するであろう。」
5節

 「主を畏れることは知恵の初め」であると同時に、到達すべきゴールです。すなわち、神を知ることに始まり、神を知ることに終わるのが信仰者の生涯です。アブラハムは主を知るからこそ、主の言葉に従って旅立ちました。(創世記12:4)また、主を知ることがなければ、満ち足りて死ぬこともできなかったでしょう。アブラハムは、その100年にわたる信仰の旅において、他のことはどうであれ、主を知ることにおいてだけは確実に前進し、信仰者としてのゴールに到達しました。
「アブラハムの生涯は175年であった。アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。」(創世記25:7−8)
 
パウロも同様です。
彼もまた自分に「決められた道」を走りとおして死にました。(参考 第二テモテ4:6−7 )

  そこまで主を知るためには、どうすればよいのでしょうか。

「わが子よ、わたしの言葉を受け入れ、
戒めを大切にして知恵に耳を傾け、英知に心を向けるなら・・・」
(1−2節)

まずは、聖書に聞き従わなければなりません。
   「分別に呼びかけ、英知に向かって声をあげるなら・・・」(3節)
さらに祈りです。聖書と祈りこそ、主を知るための手段です。この手段をないがしろにしながら、主を知ることができるかのように自分勝手に求めても、むなしいことです。

 「銀を求めるようにそれを尋ね、宝物を求めるようにそれを捜すなら・・・」(4節)
そしてさらに、熱心に求めることです。「これまでに得たものすべてに代えても」、あるいは「持ち物をすっかり売り払って」でも求めるのです。(箴言4:7、マタイ13:44)

 しかし、アブラハムも旅の最初から、それほどの価値を知っていたわけではないでしょう。パウロも、同様です。「今では他の一切を損失とみています」と言えるようになるまでに、どれほどの経験を積み重ねたことでしょうか。(フィリピ3:8)

主を知ることが信仰生活のゴールです。
そこに向かって近づいているなら、 他のことはどうであれ、
決められた道を前進していると確信してよいのです。