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「そのときになって」 (箴言1章.8)09/30/2007

「そのときになって、彼らがわたしを呼んでもわたしは答えず、
捜し求めても、わたしを見いだすことはできない。」
28節

 神の寛容と忍耐を軽んじないようにしなければなりません。
取り返しのつかない「そのとき」があります。

「そのときになって、彼らがわたしを呼んでもわたしは答えず、捜し求めても、わたしを見いだすことはできない」と書かれているとおりです。(28節)
  そのときは、どんなに泣き叫び、どんなに求めても、主は答えてくださいません。不信仰を繰り返した荒れ野のイスラエルについて、こう書かれています。

「主の前で泣いたが、主はあなたたちの声に耳を傾けず、聞こうとされなかった。」(申命記1:45)また、自分が悪いと知りながら、主に逆らい続けたサウル王についても、こう書かれています。「サウルは主に託宣を求めたが、主は夢によっても、ウリムによっても、預言者によってもお答えにならなかった。」(サムエル上28:6)彼らは、取り返しのつかない「そのとき」を迎えてしまったのです 。

「彼らは知ることをいとい、
主を知ることを選ばず、わたしの勧めに
      
従わず、懲らしめをすべてないがしろにした。」 (29、30節)

 確かに「そのとき」には、呼んでも主からの答えはなく、捜しても主を見出すことはできません。しかし、主はすでに十分に語っておられるのです。また、十分に御自身を示しておられます。それらの勧めや懲らしめに耳を傾けて、悔い改めることができたらよいでしょうが、
「彼らは知ることをいとい、主を知ることを選ばず、わたしの勧めに従わず、懲らしめをすべてないがしろにした。」(29、30節)
すでに語られた御言葉を聞けなくなっているから、取り返しがつかない「そのとき」を迎えています。

 そして、このことはキリストにおいて、いっそう切迫したものとなっています。
神は「この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。」(ヘブライ1:2)
キリストの御言葉を不足とするなら、さらに新しい御言葉を期待しても、むなしいことです。(ヘブライ6:4−6)

 キリストによって語られた最後の「勧め」「懲らしめ」を受け入れて、熱心に悔い改めましょう。

取り返しのつかない「そのとき」を自分に近づけてはなりません 。