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「懲らしめを受け入れないなら」 (箴言1章.7)09/23/2007

「しかし、わたしが呼びかけても拒み、手を伸べても意に介せず
わたしの勧めをことごとくなおざりにし、
       懲らしめを受け入れないなら・・・」
24、25節

 主の呼びかけと伸ばされた御手が、わたしたちを優しくほめるためのものだと決めつけてはなりません。それはしばしばわたしたちの耳と心に痛い「勧め」であり、「懲らしめ」です。主が完全であられるようにわたしたちも完全であるなら、主の賞賛を期待しても良いでしょう。しかし、自分を愛してくれる人さえ満足に愛せないわたしたちが、どうしていつでも主の賞賛を期待できるでしょうか。まず期待すべきは、わたしたちに悔い改めを求める「勧め」「懲らしめ」です。
 そして、これこそ福音です。神が決してわたしたちを捨てたまわないからこそ、倦(う)むことなく勧めと懲らしめを与えてくださるのです。そして、ついには賞賛に値するものに造り変えてくださいます。

「あなたたちが災いに遭うとき、わたしは笑い、
      恐怖に襲われるとき、嘲笑うであろう。」
(26節)

 神は愛です。
神はわたしたちに対して七を七十倍するほどの忍耐と寛容をもって呼びかけてくださいます。それは御子イエス・キリストを通してなされた呼びかけが侮られ、差し出された御手が十字架の釘に刺し貫かれても、なお止むことがないほどのものです。むしろ、いっそう力強くその呼びかけはなされ、御手は伸ばされたままです。
  しかし、覚えなければならないのは、これが最後の呼びかけであり、まさに真剣に受け取られるべき福音だということです。この呼びかけが受け入れられないなら、これ以上のものを期待することはできません。神はこの上ない忍耐と寛容の御方ですが、侮られるような御方ではありません。

 神は愛において強くあられるように、裁きにおいても容赦なく強い御方です。
神の呼びかけをあくまでも受け入れない者が
「災いに遭うとき、わたしは笑い、恐怖に襲われるとき、嘲笑うであろう。」
(26節)

神を正しく畏れて、
御子イエス・キリストを通してなされた神の呼びかけに真剣に耳を傾けましょう 。