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「 巷で、広場で、雑踏の街角で、城門の通路で 」 (箴言1章.6)
「 知恵は巷(ちまた)に呼ばわり、広場に声をあげる。
雑踏の街角で呼びかけ、城門の通路で語りかける。」 ( 20−21節 )
神の知恵は、「巷(ちまた)(まちなか)」で、「広場」で、「雑踏の街角」で、「城門の通路」で、すなわち、社会生活のありとあらゆる場所で、声を発しています。まず、その声は人々の良心と良心的な行動を通して発せられます。
「終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。」(フィリピ4:8)
また、神の知恵に反する行動をとる人々を通してさえ、声を発しています。主イエスは、御自分に敵対していた律法学者たちやファリサイ派の人々について、こう言われました。
「彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。」(マタイ23:3)
彼らは従わないにもかかわらず、神の知恵を語っていました。
さらに、社会の法や制度やあらゆる仕組みを通して声を発しており、わたしたちはその声に従わなければなりません。
「神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。」
それは、善を行う者を励まし、悪を行う者を恐れさせる声です。(ローマ13:1−7)
「いつまで」と問うています。
すなわち、浅はかな者が自分の浅はかさを捨てたいと切望するようになり、不遜な者が自分の不遜さを心から嫌い、愚かな者が自分の愚かさを恥じて、熱心に知識を求めるようになるのを待っておられるのです。
「立ち帰って、わたしの懲らしめを受け入れるなら、
見よ、わたしの霊をあなたたちに注ぎ、わたしの言葉を示そう。」(23節)
事実、「世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と約束されたキリストは、会堂の中だけではなく、むしろ、「巷」で、「広場」で、「雑踏の街角」で、「城門の通路」で、人々を教えられました。
わたしたちも、そのような場所で主の御言葉を聞かなければなりません。(マタイ28:20)