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「くみしてはならない」 (箴言1章.4)09/02/2007

「わが子よ、
ならず者があなたを誘惑しても、くみしてはならない。
10節

  若者にとって、どのような人々と運命や利害を共にするかということほどに大きな影響を受けることはないでしょう。これを間違えたなら、大きく道を踏み外すことになります。反対にそれを間違えない人は幸いです。「いかに幸いなことでしょう。神に逆らう者の計らいに従って歩まず、罪ある者の道にとどまらず、傲慢な者と共に座らず・・・」(詩編1:1)

  誘惑に気づけるかどうかが重要です。相手の願いや欲望にうまく取り入って従わせようとするのが、誘惑です。巧みな誘惑に気づくためには、わたしたちの進むべき道について明瞭な基準が必要です。そして、わたしたちにとって、聖書が基準です。しかし、どんなに基準をもっているつもりでも、ほめられたり、利害に心を奪われたり、人を恐れたり、様々な理由によって判断が狂ってしまい、誘惑されることがないとは言えません。しかし、主の恵みによって気づかせていただいたなら、その時はためらってはなりません。きっぱりと背を向けることです。「くみしてはならない。」

「彼らはこう言うだろう。
『一緒に来い。・・・我々と運命を共にせよ。
財布もひとつにしようではないか。』」
(5節)

 わたしたちは、いろいろな人々の間で生活していかなければなりません。神に従う人々の間でだけ生活することなどできません。
「もし、そうだとしたら、世の中から出て行かねばならないでしょう。」
(参考 第一コリント5:9−10)

この箴言が教えているのは、神に逆らう人々と接するな、付き合うな、ということではありません。誘惑されても、「くみしてはならない」ということです。すなわち、運命を共にしたり利害を共にするようになったりしてはならない、仲間になってはならないということです。

 人は一人では生きていけません。

  運命や利害を共にする共同体の一員として生きることを必要としています。
多くの人々と接しながら、どのような人々と運命や利害を共にするかをよくよく見分けなければなりません。神を畏れる教会の交わりの中で成長するなら、見分けることができるでしょう。