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「父の諭しに・・・母の教えに・・・」 (箴言1章.3)08/26/2007

「わが子よ、父の諭(さと)しに聞き従え。
    母の教えをおろそかにするな。」
8節

  「主を畏(おそ)れることは知恵の初め」(7節)と教えた箴言は、すぐに人々を自分たちの父母へと向かわせます。「わが子よ、父の諭しに聞き従え。母の教えをおろそかにするな。」(8節)このことは、神の御前で親の権威と責任が恐ろしいほどに大きいことを示しています。親は、自分の子供たちに対して、何としても聞き従わせるべき「諭し」や、生涯にわたっておろそかにされてはならない「教え」を持っていなければなりません。

 「それらは頭に戴(いただ)く優雅な冠、首にかける飾りとなる。」(9節)

 主の御言葉に基づく「諭し」「教え」は人の目には見えない無形の「冠」であり、「首飾り」です。世はそれらの栄光と価値を十分に認めたり、それらを求めるようにと励ましたりしてはくれません。親が教育しなければ、世が経験のない子供たちを教育します。そして、子供が大人になればなるほど、それらの「諭し」「教え」に従うことは難しくなっていくことでしょう。その意味で、子供の成長に応じて、親はますます大きな説得力を必要としています。この点で、足りなさを感じない信仰者はいないのではないでしょうか。しかし、説得力を得る道筋ははっきりしています。自分の子供たちに諭したり教えたりするに先立って、親自身が御言葉に従うことです。そして、それが本当に「優雅な冠」であり、「首にかける飾り」であることを自ら確信することです。この確信をもって、子供たちの成長のあらゆる段階に対処します。祈りつつ待つしかない時にも、この確信が親を支えるでしょう。

「これに聞き従えば、
賢人もなお説得力を加え、聡明な人も指導力を増すであろう。」
(5節)

「あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを思い出しなさい。
彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見(み)倣(なら)いなさい。」

 望むと望まざるとにかかわらず、親は自分の子供たちに対して最後まで教育的役割を果たさざるを得ません。その意味で、最良の教育は家庭でなされます。そして、最良の教師は親です。親自身が信仰者として成長しつつ、自分たちの生涯の最後まで子供たちに教えなければなりません。

「わが子よ、父の諭しに聞き従え。母の教えをおろそかにするな。」(8節)