『祈りの一年を目指して』(1月4日・祈祷会より)
祈りの中で成長する一年を目指しましょう。
「目を覚まして、感謝をこめ、ひたすら祈りなさい。」(コロサイ4:2)
「目を覚まして」いる人は、万事が順調に進もうが、停滞していようが、行き詰ろうが、神を見ます。ダビデは相次ぐ勝利の中でも、神を見失いませんでした。「主は、ダビデに行く先々で勝利を与えられた。」(歴代上18:13)自分の苦労や才覚に勝利の原因を求めず、神の恵みを心から認めて、神への賛美と感謝の祈りをささげました。また、サウル王に追われる洞窟の中でも、祈りを失うことはありませんでした。「目を覚まして」、どんな時にも神を見失わなかったからです。
「感謝をこめ・・・」
万事が順調に進めば感謝できるのに、と言ってはならないでしょう。勝利に勝利を重ねる時に有頂天にならず、神をないがしろにしないでいるのは、容易なことではありません。苦難の中で必死に祈っても、万事が順調に進み始めると、自分がすべてを成し遂げたような顔をして歩むのが、普通の人の姿ではないでしょうか。しかし、主の贖いの光の中で目を覚ましているなら、与えられた恵みを見失うことはないでしょう。「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。」(第一コリント15:10)また、いかなる逆境の中でも、神の愛に望みを託して感謝し続けるでしょう。
「わたしたちすべてのために御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものを賜らないはずがありましょうか。」(ローマ8:32)
「ひたすら祈りなさい。」
聖書は、最初から最後まで、祈りを勧めています。それほどにわたしたちの貧しさは深刻であり、誘惑は大きいのです。もし、そんな気がしないなら、主がそれを悟らせてくださるように祈らなければなりません。主が行く先々で勝利を与えておられた時に、ダビデはバテ・シェバと通じて、その夫ウリヤを殺しました。今年一年、この御言葉を祈りの指針といたしましょう。そして、今年の終りには、主の恵みによって前進したわたしたち自身と教会の姿に出会うことができるように祈ります。
「目を覚まして、感謝をこめ、ひたすら祈りなさい。」(コロサイ4:2)