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『とこしえに揺らぐことがない』(詩編112編.5) 12/19/2004

「主に従う人はとこしえに揺らぐことがない。」(6節)

 「主に従う人」には、いかなる動揺も失敗も挫折もないという意味ではありません。一人で酒に酔いつぶれていたノアの心に何の痛みもなかったでしょうか。(創世記9:21)ダビデは息子たちのことで何度涙を流したことでしょうか。息子アブサロムの死を悲しむダビデは、自分が王であることすら忘れかけていました。(列王記19:1-5)「主に従う人」の代表とも言うべき彼らでさえ、人生の一場面だけに注目したなら、大きく揺れ動いていたのです。イエス・キリスト御自身、「激しい叫び声をあげ、涙を流しながら」父なる神への従順の道を歩み抜いていかれました。(ヘブライ5:7-8)主に従う人が「とこしえに揺らぐことがない」のは、すべての動揺や失敗や挫折を乗り越えていくからです。「主に従う人は七度倒れても起き上がる」(箴言24:16)たとえ、自分の力の限界によって倒れても、神の力によって起き上がるのです。主に従うすべての人にとって、次の詩編の言葉はまさに真実な信仰告白だったでしょう。

   「わたしは絶えず主に相対しています。
         主は右にいまし、わたしは揺らぐことがありません。」(詩編16:8)

 「彼はとこしえに記憶される。彼は悪評を立てられても恐れない。
                   その心は、固く主に信頼している」
(6、7節)
 主に従う人にとって、自分への評価は次第に単純明快になっていきます。神の評価がすべてとなるからです。人に知られず無名であり、つまらないもののように判定を下されることも問題ではありません。自分で先走って自分に判定を下すこともしません。主に従う人は、自分に対する本当の確信を得ることでしょう。キリストの恵みに強められて神に従ったパウロは、救いに基づく神の裁きに揺るぎない希望を確信していました。

「そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります。」(第一コリント4:1-5)