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『憐れみ深く貸し与える人』(詩編112編.4) 12/12/2004

「憐れみ深く、貸し与える人は良い人。」(5節)

 神の民イスラエルにおいて「貸し与える」ことは、神の戒めを深く愛してなされるべき重要な信仰の行為でした。神の戒めが、「生活に苦しむ貧しい者に大きく手を開きなさい」と命じていたからです。もし、貧しい同胞を見捨てて物を断り、その同胞に訴えられるならば、神から罪を問われるのです。それだけでなく、その負債については、「七年目ごとに負債を免除しなさい」と命じられていました。(申命記15:1−11)このような厳しい戒めの下で「貸し与える」ということは、神の祝福を本気で信じなければ、喜んで実行できることではなかったでしょう。「このことのために、あなたの神、主はあなたの手の働きすべてを祝福してくださる」(申命記15:10)

「弱者を憐れむ人は主に貸す人。その行いは必ず報いられる。」(箴言19:17)
「生涯、憐れんで貸し与えた人には、祝福がその子孫に及ぶ。」(詩編37:26)

 「貸し与える」ことだけではなく、「借りる」こともまた、信仰の行為です。神の憐れみを悪用して怠惰に過ごす可能性がありました。「働きたくない者は食べてはならない」と命じられています。(第二テサロニケ3:10−13)また、金銭の貸し借りは人と人の関係を変えます。「借りる者は貸す者の奴隷となる」と教えられています。(箴言22:7)
 また、「憐れみ深く、貸し与える」とは、誰にでも気前よく助けを与えるということではありません。憐れみは、本当にそれを必要とする人のものです。人の助けを受けたくなくても、敢えて助けを求めざるをえない時があるかもしれません。その時には、神が人を通して貸し与えてくださるのです。そのような貸し借りは、「憐れみ深く、貸し与える人」にとってだけではなく、神の民全体にとって祝福となります。そのような助け合いによって、神の民は「多くの国民に貸すようになるが、借りることのない」ものとなるからです。(申命記15:6)