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『驚くべき御業を記念するよう・・・』(詩編111編.2) 11/14/2004

「主の成し遂げられることは栄え輝き、恵みの御業は永遠に続く。」(3節)

それなのに、人の讃美と感謝は長続きしません。旧約の歴史は、そのことをいやというほどに明らかにしています。言い換えれば、「主は驚くべき御業を記念するよう定められた」のに、主の民は正しく記念することができなかったのです。(4節)聖書は、まさしく「主の驚くべき御業を記念する」記録を主の民に提供しています。しかし、聖書の内容をよく知っているというだけでは、正しく記念したことにはなりません。

 律法学者たちやファリサイ派の人々は、聖書の内容に精通していました。彼らにとって、主の驚くべき御業を次々に語ることは簡単なことだったでしょう。しかし、キリストは、彼らが主の驚くべき御業を正しく記念する人々だとは決してお認めになりませんでした。彼らはこう語っていました。「もし先祖の時代に生きていても、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう」(マタイ23:30)立派な覚悟です。しかし、キリストはそのような発言をする彼らに対して「内側は偽善と不法で満ちている」と言われました。(マタイ23:28)


 主の栄光を知るということは、同時に自分の内側の闇を知るということでもあります。主を畏れる人は、神に対する「一万タラントン」の負い目を知る人でもあります。(参考マタイ18:24)「もし先祖の時代に生きていても・・・」と語った人々は、ある意味では聖書を気楽に扱える昔話のようにしていました。しkし、そこで記念されていたのは自分のうちに今もなお存在している罪であり、今もなお豊かに啓示されている神の憐れみです。

常に「主を畏れること」から始めましょう。(10節)
そして、「主の驚くべき御業」を今日も新たに記念して歩んで参りましょう。
主の憐れみのゆえに今日の私たちがあるのです。