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『心を尽くして主に感謝を』(詩編111編.1)
「わたしは心を尽くして主に感謝をささげる」(1節)
主への感謝は「心を尽くして」ささげるべきものです。わたしたちは、神に対して驚くほどに恩知らずだからです。主君に「一万タラントンの借金」を許していただきながら、主君の家を出たらすぐにそんな主君の憐れみを忘れたかのように行動する家来は、実に恩知らずでした。(マタイ18:23-30)あれほどに大きな救いを経験しながらも、つぶやきを繰り返した荒野のイスラエルも、大変な恩知らずでした。しかし、それはわたしたちの姿でもあります。それゆえ、感謝は「心を尽くして」ささげられなければなりません。
「心を尽くして」感謝をささげるために、第一に学ぶべきことは「神を恐れる」ことです。(箴言1:7)神を恐れない人は、神に感謝することを知りません。そのような人は、平穏な日には神を侮り、災いの日には神に怒りを燃やすのではないでしょうか。(参考 第2ペテロ3:4)しかし、神を恐れる人は、平穏な日には神の忍耐を学んで感謝し、試練の日にも神への感謝を失わずに待つことを学びます。(参考 第2ペテロ3:8-15)
「主の偉業は大きく、それを愛する人は皆、それを尋ね求める。」(2節)
主の偉業の大きさを知らなければ、神に感謝することはできません。主の偉業は、それを尋ね求める人が永遠に尋ね求めても捉え尽くせないほどに大きいのです。わたしたちは、主の偉業のほんの一部分を見ることができるだけです。「神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない」のです。(コレヘト:11)喜ばしいことに出会う時にも有頂天にならず、災いの中でも絶望せず、主の偉業を求め続けることこそ、「主の偉業を愛する人」にふさわしい姿勢です。
しかし、そのような姿勢を保ち続けることができるほど、人間は強くありません。「主イエスの名のために辱めを受けるほどの者とされたこと」を喜んだ使徒は、聖霊に満たされていました。(使徒6:41、1:8)「四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、打ち倒されても滅ぼされない」と告白した使徒パウロも、同様に「並外れて偉大な力」に満たされていたのです。(第2コリント4:7-9)