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『わが主』(詩編110編.1)
「わが主に賜った主の御言葉」(1節)
イスラエル史上最大の王とも言うべきダビデが、メシアを「わが主」と呼んで従い、メシアへの服従を通してヤーウェにお仕えしているのです。(参考マタイ22:43)ダビデは王であると同時に、「わが主」に従う者でした。そして、そのことにおいてこそ、ダビデは真に王であり得たのです。
自分も権威の下にあるからこそ、権威を持つことができました。すべての権威の源は、主なる神です。
ダビデと同様に、すべて権威の下にある人々が、従うべき権威の下においてこそ、真に正しくその権威を行使うるのです。主は、権威の乱用を笑われます。(詩編2:4)そのような権威は長続きすることはありません。権威に従う最善の模範は、イエス・キリストです。彼は権威を振り回すのではなく、従うべき御方にあくまで従ったからこそ、「あらゆる名にまさる名」をお受になりました。(フィリピ2:6-11)キリストは、権威に対する考え方を根本から変更されたのです。(マルコ10:42-43)
「わたしの右の座に就くがよい。
わたしはあなたの敵をあなたの土台としよう。」(1節)
「あらゆる名にまさる名」をお受になったキリストは、今、父なる神の右の座におられます。肉眼では見ることができず、信仰によって見ることができるだけです。わたしたちが、確信を持って大胆に神に近づくことができるのは、信仰によってこの御方を見ているからです。(ヘブライ4:4-16)殉教者ステファノが、自分の霊を神に委ねることができたのも、そのことゆえです。(使徒7:54-59)
「わたしは、あなたの敵をあなたの足台にしよう。」(1節)
「足台とする」とは、敵の首を踏むことです。(ヨシュア10:24)これ以上戦う必要のない圧倒的な勝利が意味されています。キリストは、父なる神への服従によって、この勝利を受けました。キリストに属する者たちは、キリストへの服従によってこの勝利に加わるのです。
信仰の勝利は、権威を振り回して自分の思い通りに人々や物事を動かすことにではなく、キリストを「わが主」と呼んで従うことにあります。