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『慈しみによって』(詩編109編.2) 09/26/2004

 「・・恵み深く、慈しみによってわたしを助けてください。」(21節)
 「・・・慈しみによってお救いください。」(26節)

 主の慈しみによって祈ることを学びましょう。思わぬ敵意や悪意に出会う時にも、信仰の確信を失わずに進むためです。どんなに正しく歩む人でも、敵意や悪意を持って評価される時には、神の祝福よりも呪いにふさわしいもののように思われることでしょう。
 ダビデを呪ったシムイも、何の根拠もなく呪ったわけではありませんでした。(サムエル下16:5ー14)そして、ダビデ自身もそのことについてよく知っていました。「わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。」(詩編51:5)自分にあるのは、「貧しさ」「乏しさ」「弱さ」のみです。(22ー24節)人々からの支持もありません。(25節)
 しかし、この詩編の信仰者は、確信を持って祈ることをやめません。自分にではなく、ただ主の慈しみのみを信頼して祈るからです。自分に、主の助けや救いを引き出す何らかの根拠があるわけではありません。ただ「(主の)慈しみによって」祈るのです。

 思わぬ敵意や悪意に出会う時には、できる限りそれらを離れ、ひたすら主の慈しみに信頼して神に大胆に近づくべきです。
人に呪われても、主は「祝福してくださいます。」(28節)
反対に、「敵意を抱くものは辱めを衣とし、恥を上着としてまとうでしょう。」(29節)
主の慈しみによって祈り続けるなら、どんなに乏しく弱く貧しくとも、失望に終わることはありません。

「主は乏しい人の右に立ち、死に定める(人間的な悪意ある)裁きから救ってくださいます。」(31節)