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『黙していないでください』(詩編109編.1) 09/19/2004

 この詩編に登場する悪は、人の善意に心打たれて回心するような生やさしい悪ではありません。この詩編の信仰者が戦わなければならない相手は、「理由もなく戦いを挑んできます。」(3節)それだけではなく、忍耐の限りを尽くして「愛しても敵意を返し、わたしが祈りを捧げてもその善意に対して悪意を返します。」(4−5節)ダビデにとって、彼の命をどこまでもねらうサウルは、そのような敵でした。

 信仰者にとって、敵対者を征服することが勝利ではありません。実際、「欺いて語る口」「偽りを言う舌」とまともな戦いなどできません。(2節)ダビデもサウルを打ち倒すことによって勝利を得ようとはしませんでした。彼の戦いは、あくまで主に従うことにありました。自分を憎む者に「パンを与え」、「水を飲ませ」、「炭火を彼の頭に積み」、ひたすら主の報いを求めることが信仰の戦いです。(箴言25:21−22)また、「敵が倒れても喜ばず」、御心ならば「和解させて」いただき、「神に従う人が神に逆らう者の前によろめかないようにする」ことが、信仰の勝利です。(箴言24:17,16:7,25:26)
 

 6〜20節の祈りは、実に厳しい祈りです。それゆえ、キリスト教精神と一致しないと、この箇所を解説する人もいます。しかし、主に従う人は、主なる神から「あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪うとの約束を受けました。(創世記12:3)」

 主にあくまで従う時に、この御言葉は真実です。
自分の都合で祈っているのではありません。一見厳しすぎるように見える6〜16節の祈りは、あくまで主に従い、あくまで復讐を主の御手に委ねて、あくまで善をもって悪と戦う人の祈りです

「悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。」(参照ローマ12:18−21)