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『感謝せよ・・・と唱えよ』(詩編107編 .1) 08/29/2004

「『恵み深い主に感謝せよ、慈しみはとこしえに』と
               主に購われた人々は唱えよ。」(1、2節)

 この御言葉に寄って第一に命じられているのは、『恵み深い主に感謝せよ』ではありません。『唱えよ』と命じられています。『感謝せよ』と命じられても、感謝の心が伴わず、感謝をもって応答できないこともあるでしょう。しかし、『感謝せよ』と唱えることはいつでもできます。自分の心に向かってそのように唱えるためには、感謝の心が十分に伴のはなくても構わないのです。
 『主に購われた人々』は、主の犠牲的な代価に寄って救われる経験をした人々です。しかし、その大きな経験でさえ、時がたてば簡単に忘れて軽んじてしまうのが人間です。『主に購われた』という土台の上に自分の人生を建て上げず、他の所に土台を置き始めるのです。人間のそのような罪深い弱さに、『唱えよ』との命令は対応しています。

    『主に感謝せよ、主は慈しみ深く、
         人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。』
(8、15、21、31節)
 この御言葉が何度も繰り返されています。どんなに主の大きな恵みを経験しても、その場限りのことにしたなら、役に立ちません。主は侮られるような御方ではありません。人と人との関係が、互いの好意を積み重ねながら深まり成長して行くように、主との関係も受けた恵みをしっかりと覚えて感謝することを通して深められていきます。反対に主の恵みを軽んじつつ、主との関係が深まるはずもありません。
 しかし、感謝に欠けるのが人間の惨めな性質です。感謝を持続することのできなかったイスラエルの民は、わたしたちの姿でもあります。

 感謝の思いに欠ける時にも、『感謝せよ』と自分の心に向かって唱えることはできます。
              そこから常に始めましょう。