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『ホレブで子牛の像を造り・・・』(詩編106編 .5) 06/27/2004

「彼らはホレブで子牛の像を造り、鋳た像に向かってひれ伏した。」(19節)

 人間が、どれほど偶像礼拝に傾いているかを自覚しておくことは有益です。目に見えない神を認めて信じることは、罪に陥った人間の本性にとって自然なことではありません。反対に目に見える形を刻んで、その偶像にひれ伏す方が「自然」なのです。実際、偶像を持つことによってイスラエルの民の信仰も活気づいたように見えます。(出エジプト32:1‐6)モーセがシナイ山に上る前に、モーセを通して彼らに御言葉が与えられていました。(出エジプト19:1‐6)しかし、彼らはその御言葉に満足できませんでした。それだけではなく、その御言葉に応答した彼らの誓約も安易に捨て去られました。(出エジプト19:8)そして、彼らは、偶像礼拝へと向かったのです。御言葉に満足できなければ、偶像礼拝に向かうしかありません。それが、わたしたち人間の本性です。

 偶像を持つことによってどんなに信仰が活気づいたように見えても、御言葉を捨て去った民に対して、神はこう言われます。

「彼らは自分たちを救ってくださる神を忘れた。
エジプトで大いなる御業を行い、ハムの地で驚くべき御業を、
葦の海で恐るべき御業を成し遂げられた方を忘れた。」
(21節)

 御言葉を脇に置きながら、いかに信仰的に盛り上がったように見えても、神は「忘れられて」いるのです。偶像礼拝のつけ入る隙を与えないほどに、御言葉によって神の御臨在を実感する者となれるように祈ります。

目に見えるものではなく、御言葉を慕い求めましょう。
そして「成長し、救われるようになるためです。」
(第一ペトロ2:2)