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『いかなる時にも、続くために』(106編 .3) 06/06/2004

 「彼らはたちまち御業を忘れ去り、神の計らいを待たず、荒れ野で欲望を燃やし、砂漠で神を試みた。」(12節)

一時的な信仰というものが存在します。(マルコ4:16‐17)
 
信仰においては、「続く」ということが極めて重要です。イスラエルの民は、神の驚くべき御業を見たので、確かに「御言葉を信じ、賛美の歌を歌いました。」(12節)しかし、続きませんでした。
 「続く」ためには、御業を忘れてはなりません。言い換えれば、
「主の計らいを何ひとつ忘れてはならない」のです。(詩編103:2)そして、いかなる時にも神の愛への信頼を失わないようにしなければなりません。

 また、「続く」ためには、神の計らいを待たなければなりません。荒れ野の試練の中で、イスラエルの民にも彼らなりの考えがあったでしょう。(出エジプト15:24、16:3)しかし、「神の計らい」を待てないほどに賢くなってはならないのです。「本当に知恵のある者となるためには愚か者となりなさい。」(第一コリント3:18)

 わたしたちもイスラエルの民と同じ環境に置かれて、同じような試練を受けたなら、彼らと同様の罪を犯したことでしょう。「だれでも一片のパンのために罪を犯しうる」のです。(箴言28:21)ただ、荒れ野の試練の中にあっても、信仰によってキリストが与えたもう霊的な食物を食べ、霊的な飲み物を飲んで、信仰を強く養われたモーセと彼に属する者たちだけが、罪を免れました。(第一コリント10:1‐4)

荒れ野の試練の中で惨めな姿をあらわすような一時的な信仰ではなく、いかなる時も「続く」信仰であるように、日々真剣にキリストの恵みを飲み食いし、養われる者となりましょう。