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『驚くべき御業に目覚めず・・』(106編 .2) 05/30/2004

 「わたしたちの先祖は、エジプトで驚くべき御業に目覚めず、豊かな慈しみに心を留めず、海辺で、葦の海のほとりで反抗した。」(7節)

 信仰生活の中で、わたしたちは出エジプトのような「驚くべき御業」をこの目で見たいと思うことがあるかもしれません。あるいは、そのような仕方で、神の助けや救いを経験したいと願うこともあるかもしれません。しかし、どんなに「驚くべき御業」を見ても、神の存在に「目覚める」ことがないなら、役に立ちません。どんなに「豊かな慈しみ」を経験しても、それを「心に留めず」、すぐに忘れてしまうなら、その場限りのことで終わってしまいます。

 葦の海のほとりで、イスラエルの民は追い迫るエジプト軍を見て、こう言いました。「我々を連れ出したのは、・・・荒野で死なせるためですか。」(出エジプト4:11)もし、彼らが神の驚くべき御業に目覚め、神の豊かな慈しみを心に留めていたら、どんなにエジプト軍を恐れても、そんな恩知らずで反抗的な言葉を吐き出すことはなかったでしょう。むしろ、素直に神に救いと助けを祈り求めたことでしょう。

 逆らう民に対しても、主はご自身の「御名の(栄光の)ために」救いを与えてくださいました。(8‐11節)そして、民は御言葉を信じ、賛美の歌をうたいました。(12節)しかし、それもほんのひと時のことであり、同じことが繰り返されました。(13‐14節)「目覚めず」「心を留めず」「神の計らいを待つ」ことがなければ、どんなに偉大な御業をその目で見ようと、直接に経験しようとも役に立ちません。

 聖霊なる神がわたしたちを助けて、聖書に記されている「驚くべき御業」に「目覚め」、そこに記されている「豊かな慈しみ」を「心に留め」、「神の計らいを待つ」者としてくださいますように。