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『主をたたえよ』(詩編106編 .11)
「主はなお、災いにある彼らを顧み、叫びを聞き、
・・彼らをとりこにしたすべての者が彼らを憐れむように計らわれた。」(44−46節)
かつては主の怒りによって諸国の手に渡され、今は主の豊かな慈しみによって諸国の民から哀れみをかけられています。主がそのように「計られた」からです。(46節)。主の怒り、主の慈しみが神の民の具体的な歴史を決定しているのです。主の怒りと慈しみが、これほど具体的に自分たちの現実的な生活を決定すると知っていたなら、反抗が繰り返されることはなかったでしょう。
ユダのヨシア王は、「律法の書の言葉を聞くと、衣を裂いた」と伝えられています。(列王下22:11)主の怒りが燃え上がっていることを知ったからです。そして、彼は主の御心に従って改革に着手します。しかし、ヨシア王の跡を継いだ息子たちが、父の信仰を継承することはありませんでした。そして、ついにヨシアの子ヨヤキム王の治世に、バビロンの王ネブカドネツァルが攻め上がってきました。彼らはヨシア王のように、主の御心が現実の歴史を決定していると心から信じることはなかったのです。
主の御心と現実の関係を正しく知る人とは、誰でしょうか。感謝と賛美をもって真実に神を仰ぐ人です。そのような人は、順境にあっても、謙虚と自制をもって進むべき道を進むでしょう。また、逆境にあっても、忍耐と希望を持って進むべき道を進むでしょう。そして、いずれにせよ、主の豊かな慈しみによって幸いを得るのです。
「聖なる御名に感謝をささげ、あなたを賛美し、
ほめたたえさせて下さい。イスラエルの神、主をたたえよ。
民は皆、アーメンと答えよ。ハレルヤ。」(47−48節)