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『自分たちの行いによって汚れ・・』(詩編106編 .10)
「彼らは自分たちの行いによって汚れ、自分たちの業によって淫行に落ちた。」(39節)
この詩編では、いかなる理由や言い訳も挿入されたり付け加えられたりすることなしに、率直に罪が告白されてきました。そのような率直さは主の恵みです。命に至る悔い改めの重要な第一歩がここにあります。罪が発覚したり、何らかの重大な結果をもたらしたりした時に、わたしたちはそれなりに罪を認めます。しかし、それはあくまで人前で認めたにすぎません。そこには微妙な仕方で言い訳や理由付けが入り込みます。それゆえ、罪を悔いることはあっても悔い改めることができません。主の御前で言い訳や理由付けをする口をふさがれ、神の裁きに服して率直に罪を告白することは、求めるべき恵みです。
「主の怒りは民に向かって燃え上がり
・・・彼らを諸国の民の手に渡された。」(41節)
素直に罪を認めた信仰者は、率直に罪の報いをも当然のこととして受け入れました。主の民が約束の地を失って捕囚されたのは思いがけないことではなく、主の契約によってすでに警告されていたことだったのです。(申命記28:15以下、30:15−20等)
また、彼は率直に主の愛を認めました。契約が警告していた最悪の結果がすぐに実現しなかったのは、「主が幾度も彼らを助け出そうとされた」からです。(43節)契約が呪いとならず祝福となるように、主は「助けだそうとされた」のです。しかし、悔い改めの機会は、反抗によって失われました。そして、彼らは「思うままにふるまい、自分たちの罪によって堕落した」のです。(43節)
主の契約は、それを受け継ぐ人々に率直さを求めています。主に対して無用な言い訳や反抗をせず、率直に主の契約に向かい合いましょう。