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『先祖と同じく罪を犯し・・』(106編 .1) 05/23/2004

 この詩編では、先祖の罪が並べ立てられています。しかし、それは先祖を責めて、辱めるためではありません。自分たちがどのようなものであるかを知るためです。先祖の罪は昔話ではなく、今の自分たちの姿です。「先祖と同じく」「わたしたちは・・・罪を犯し、不正を行い、主に逆らった」のです。(6節)御言葉の光の中で、自分たちの罪を知るとは、まさにこのような仕方においてでしょう。

 キリストによって「偽善者」と呼ばれた人々は、聖書によって先祖の歴史をよく学んでいましたが、真実に自分たちの罪を認識することはありませんでした。反対にこう言っていました。「もし、先祖の時代に生きていても、預言者たちの血を流す側にはつかなかったであろう。」(マタイ23:30)

 バプテスマのヨハネは、アブラハムの子孫であることを誇りとしている者たちにこう言いました。「(アブラハムの子孫だということで、)差し迫った神の怒り免れると、だれが教えたのか。」「『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。」(マタイ3:7‐8)これもアブラハムの子孫を辱めるために言われたことではありません。「こんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる」神をほめたたえるために言われたことです。(マタイ3:9)聖書に記されたアブラハムの子たちの歴史は、神の恵みの歴史です。まさしく、神は「こんな石」のようにつまらないものをも愛して、「アブラハムの子たち」を造り出されたのです。御言葉の光の中で自分たちの罪を知る時、わたしたちは神の恵み深い愛を知ります。そして、その愛に依り頼んで生きるためにふさわしい出発点に立っているのです。

「わたしたちは先祖と同じく罪を犯し、不正を行い、主に逆らった。」(6節)