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『主を求める人よ』(105編) 05/16/2004

 「主を求める人よ、心に喜びを抱き、主を、主の御力を尋ね求め、常に御顔を求めよ。」(3、4節)

 主を求める人が「心に抱く喜び」とは、自分に頼ることをやめて、「主の御力を尋ね求め、常に御顔を求める」喜びです。「自分を全く取るに足りない者と思い」ながら、主にお仕えしたパウロは、喜びの人でした。(使徒20:19、フィリピ2:17?18)
 涙を流すほどつらい働きの中で、
「自分を全く取るに足らない者」と思うパウロにとって、主の御力を求める以外に道はなかったでしょう。そして、そのような彼の心には不思議な喜びがあったにちがいありません。信仰者が喜びを失うのは、自分に固執して主を求めるのをやめる時です。あるいは、疑いつつ二心で主を求める時です
 
主を求めつつも自分に固執するなら、主から何かをいただけると思ってはならないでしょう。(ヤコブ1:6−7)

「求めよ」という御言葉の単純で率直な意味を学びたいと思います。 

「主を求める人」は、契約の中に主を求めるべきです。(7−11節)

主は、「とこしえの契約」を必ず成就されます。しかも、自由にそれを成就されます。
時には
「小さな群れ」を災いから守り(12−15節)、時には主の僕の苦難や(16−24節)、人々の敵意さえも(25節)利用して、契約されたことを果たされるのです。主が契約を成就される過程の一部分だけに心を奪われていたなら、「主を求める人」は主を見失ったことでしょう。

 しかし、その過程の全体に目を向けるならば、主はご自身の契約に対して真実です。(43−44節)主の契約の一部分ではなく、その全体の中に主の御力と御顔を尋ね求めましょう。

そして、主に信頼して従うことこそ、わたしたちにとって幸いと誉れの道であることを心に刻みましょう。(45節)