<< Prev.
Top
Next >>

『罪ある者がすべてうせ・・・』(104編) 05/09/2004

 この信仰者は、神の造られた世界とそこで繰り広げられる数知れない営みに目を向けています。信仰のない人々には単なる自然現象であっても、この信仰者の目には賛美すべきことの数々が映っています。

 ただ単に山があり、川が流れるのではありません。彼にとっては、「主が地をその基の上に据えられた」のであり、主が「泉を湧き上がらせて川とし、山々の間を流れさせられた」のです。(5、10節)雨が降り、草木が茂るだけではありません。主が「天上の宮から山々に水を注ぎ」「家畜のために牧草を茂らせ、・・・人間のためにさまざまな草木を生えさせられる」のです。(13、14節)地上の生き物たちも、それぞれ主の御定めに従って生きています。(16−22節)夜になると森の獣が活動し、朝になるとねぐらへと帰って行き、反対に「人が仕事に出かけ、夕べになるまで働く」のも、主の御定めです。(19−23節)この信仰者の耳は、餌食を求めてほえる若獅子の声さえも、「神に食べ物を求める」叫びであると聞き取ります。(21節)彼は主をほめたたえずにはいられません。「主よ、御業はいかにおびただしいことか。あなたはすべてを知恵によって成し遂げられた。地はお造りになったものに満ちている。」(24節)しかもこの世界は全く神に依存しています。(27−29節)
信仰によって見る世界は、神の創造と定めによって営まれ、神に全く依存した実に美しい世界です。

 それゆえにこそ、彼は次のように祈ります。
「(主を賛美することも感謝することもなく)主に逆らう者がもはや跡を絶つように。」(35節)キリストは罪人を滅ぼすことによってではなく、贖いたもうことによって、この祈りを成就なさいます。「わたしの魂よ、主をたたえよ。ハレルヤ。」

創造と摂理と贖いの主を信じる信仰によって、この世界の美しさを見ることのできる者でありたいと願います。