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『わたしの魂よ、主をたたえよ』(103編 .2) 05/02/2004

 誰の生涯にも咲き誇るような盛んな時期があるかもしれません。しかし、この詩編は人の生涯について次のように歌います。「人の生涯は草のよう、野の花のように咲く。風がその上に吹けば、生えていた所を知る者もなくなる。」(16節)何とも寂しいことのように思われます。しかし、たとえ「生えていた所を知る者もなくなった」としても、わたしたちの生涯を御心に留めてくださる御方がおられることを忘れてはなりません。その御方は、人の生涯が「野の花のように咲く」時だけでなく、いつも私たちのことを御心に留めてくださいます。

「主はわたしたちをどのように造るべきかを知っておられた。
わたしたちが塵にすぎないことを御心に留めておられる。」
(14節)

 ダビデの生涯にも、成功と栄華の時がありました。しかし、彼自身が求めていたのは、「主の慈しみ」が注がれることであり、「恵みの御業」が成し遂げられることでした。彼だけではなく、主の僕として生きたすべての人々にそのことは共通しています。そして、一見苦しいことが多かったように見える彼らの生涯は、決して不幸なものではありませんでした。人の生涯は、「草のよう、野の花のように咲き」ながら、終わりの時を迎えていきます。しかし、主を畏れ、主の契約を守る人は、世々とこしえに変わることのない「主の慈しみ」をたたえつつ進んでいくのです。
「主の慈しみは世々とこしえに主を畏れる人の上にあり、恵みの御業は子らの子らに、主の契約を守る人、命令を心に留めて行う人に及ぶ。」(17−18節)

 「主に造られたすべて」のものと共に「主の統治されるところの、どこにあっても」主をたたえましょう。「わたしの魂よ、主をたたえよ。」(22節)

主に従う幸いを見失うことのないように。