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『主は彼らに答えられた』(詩編99編 .2)
「主の祭司からはモーセとアロンが、御名を呼ぶ者からは
サムエルが、主を呼ぶと主は彼らに答えられた。」(6節)
主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセと語られました。(出エジプト33:11)また、主はサムエルと共におられ、御自身を現し、御言葉をもって御自身を示されました。(サムエル上3:19‐21)モーセやサムエルのように、信仰によって神を求めた人々にとって、神の存在こそ現実的なことであり、その御答えはいつも確かなものでした。それにひきかえ、イスラエルの民はしばしば神の御答えを見失いました。そして、「主は・・・剣で殺そうとされるのか」「飢え死にさせようとしている」「渇きで殺すためなのか」などと言って、神とそのしもべたちを非難しました。(民数14:3、出エジプト16:3、17:3)
神の御答えは第一に「掟と定め」にあります。(7節)
モーセもアロンもサムエルも、その「掟と定め」を見失うことはありませんでした。彼らの奉仕と情熱は、そこに注がれていたのです。それに反して、神の御答えを見失った人々が求めた神の御答えは功利的なものであり、具体的にはエジプトよりも快適な生活でした。しかし、神の御答えは「掟と定め」であり、倫理的なものだったのです。
神の御答えは第二に「罪の赦し」と「咎への報い」でした。(8節)
「掟と定め」に従った人々は、「彼らを赦す神」を礼拝することの意味を深く学んでいったことでしょう。また、「咎には報いる神」を恐れつつ信頼することをも学んでいったことでしょう。
神の御答えを求めるべきところに求めた人々に「主は・・答えられた」のです。