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『喜びの叫びをあげよ』(詩編98編) 02/29/2004

 「新しい歌」を歌うのは、主が「驚くべき御業を成し遂げられた」からです。「右の御手、聖なる御腕によって主は救いの御業を果たされた」のです。(1節)

 出エジプトの時、イスラエルの民は新しい歌をもって心から讃美しました。(出エジプト15:1‐18)バビロン捕囚から解放された時も、同様の讃美があったことでしょう。(詩編126編)その時には、確かに「主の救いの御業は果たされた」のです。しかし、その讃美と喜びは長続きしませんでした。今、満腹し、今、要求が満たされなければ、喜び続けることができなかったからです。

 主の果たされた救いの御業は、忍耐をもって受けとめられなければなりません。(ヘブライ10:36)しかし、しかめっ面の忍耐ではありません。喜びの忍耐です。主が果たされた救いの御業を喜びます。さらに、これから果たされる救いの御業を喜びます。過去と未来によって支えられ、引き上げられるようにして、今が何であれ、喜んで忍耐するのです。

 
「主は来られる、地を裁くために。主は世界を正しく裁き、諸国の民を公平に裁かれる。」(9節)
主が「来られる」のは、裁きを開始するためではありません。主は、世の初めから天地の主です。「来られる」のは、
主の民に救いをもたらし、「新しい歌」を歌わせるような裁きをなさるためです。

 キリストはすでに来られました。そして、再び来られます。
それゆえ、驚くべき救いの御業に囲まれている者にふさわしく「新しい歌」を歌いつつ、喜びの忍耐を続けて参りましょう。