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『その栄光を仰ぎ見る』(詩編97編 .2)
「すべての民はその栄光を仰ぎ見る。」(6節)
今すでに「すべての(国々の)民」が、神の栄光を仰ぎ見ています。しかし、今はあくまで信仰によってです。やがて、文字通り「すべての民」が、信仰の有無に関わらず、その目で神の栄光を仰ぎ見る時が来ます。(マタイ24:30)その時には、恥を受けながら仰ぎ見る者たちもいれば、喜び躍りながら仰ぎ見る者たちもいます。(6‐9節)喜びながら神の栄光を仰ぎ見る者となるために、何が大切なことでしょうか。
「神々はすべて、主に向かってひれ伏す」(7節)
その時、神の栄光を少しでも暗くするような被造物は何一つ存在しません。それほどに神の栄光が輝くからです。どんなに優れたものであれ被造物を讃美して、神の栄光を見失っていた者たちは恥じ入ることになるでしょう。どんなにすばらしいものであるにせよ、被造物の輝きに心を奪われて、神の栄光を見失ってはなりません。
「シオンは聞いて喜び祝い、ユダのおとめらは喜び躍る。」(8節)
今は、神の御言葉を「聞いて」喜びます。また、神の御言葉がこの歴史の中で実際にその通りに成就しつつあることを「聞いて」、喜びます。そのような喜びを知る人は、やがてその目で神の栄光を見て喜ぶことになるでしょう。
「主を愛する人は悪を憎む。」(10節)
主を愛する人は悪に悪を返すことも、悪に取り入って安全を確保しようとすることもしません。
あくまで「主の慈しみ」に「守り」と「助け」を求めます。(10節)
そのような人々の喜びは、蒔かれた「種」のように成長していきます。(11節)
信仰の成長を待つ忍耐が必要です。