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『密雲と濃霧が主の周りに立ちこめ・・・』(詩編97編 .1) 02/08/2004

「主こそ王。全地よ、喜び躍れ。多くの島々よ、喜び祝え。
密雲と濃霧が主の周りに立ちこめ、正しい裁きが王座の基をなす。」
(1‐2節)

 主の周りに立ちこめる「密雲と濃霧」は、荒れ野のイスラエルが主から十戒をいただいた時の光景を思い起こさせます。その時、イスラエルの民は「語りかける声を聞いたが、声のほか何の形も見なかった」のです。(申命記4:11‐12)このようにして聞いたのが、神の御言葉でした。
 聖書の神は形を持たない言葉だけの神のように思われることがあるかもしれません。しかし、この時には、言葉を聞くだけでも恐ろしい神だったのです。この恐れを忘れずに御言葉を聞いている限り、イスラエルの民の信仰は安全でした。しかし、この恐れを失った時、彼らは大きく道を踏み外してしまいました。

  神への恐れから遠く離れた者は、まずこの恐れへと連れ戻されなければなりません。そして、自分が人間に過ぎないことを思い知る必要があります。(詩編9:20‐21)この詩編が「喜び躍れ」「喜び祝え」と呼びかけた後に、恐るべき神の御業を思い起こしているのは、重要なことです。(3‐5節)神を心から恐れることを知らなければ、神を真実に喜ぶことはできないからです。

 これほど恐ろしい神が「正しい裁き」を基としておられます。(2節)もし、この裁きが仮借なく実行されるなら、誰が耐えられるでしょうか。しかし、神は「密雲と濃霧」の中から語られます。これは恐ろしいと同時に「罪を覆う」愛の行為です。(箴言10:12)
 
罪を即座に裁かれることなく、まずそれを覆って、わたしたちに語りかけてくださるのです。

このようにして与えられた御言葉を軽んじる時、わたしたちは主が与えたもう光と喜びを拒んでいるのです。