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『新しい歌を・・・。全地よ・・・。』(詩編96編 .1)
「新しい歌を主に向かって歌え」(1節)
主の恵みについて新たに讃えるための「新しい歌」を必要としないような信仰生活を警戒すべきです。神の恵みについて知らないことに劣らず「知っている」と思うことは問題です。形式的に熱心な信仰生活を送りながら、神の恵みを知り尽くしたかのように「新しい歌」を失った信仰生活があり得るのです。形式的な熱心に対して、主はこう言われました。「それは、わたしにとって重荷でしかない。それを担うのに疲れ果てた。」(イザヤ1:14)知れば知るほどに、謙遜な礼拝の姿勢を失わないようにしましょう。そのような姿勢を失わないなら、「新しい歌」を歌いつつ主に従い続けることができるでしょう。そのような人にとって、主の慈しみと憐れみは、朝ごとに新しいからです。(参照 哀歌3:22‐23)
「全地よ、主に向かって歌え」(1節)
全地に対して、主への讃美を呼びかけています。
旧約のイスラエルは、基本的に周囲の脅威に悩む弱小民族でした。捕囚期については、何をかいわんやです。新約の教会も一握りの人々から始まり、今日に至るまで多くの弱さや足りなさに悩んでいます。教会自身の姿を見るなら、「全地よ」と呼びかけるにはあまりにも弱小な存在です。
しかし、次のことを見落とさないようにいたしましょう。
礼拝をささげている民がどれほど弱小であっても、礼拝をお受けになっている御方は「大いなる主」「最も畏るべき方」なのです。(4節)
「新しい歌」を失わず、「全地」に向かって萎縮せずに信仰を証していくためには、自分たちの弱小さを忘れるほどに真実で謙遜な礼拝が必要です。
「全地よ、御前におののけ」(7‐9節)