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『主に向かって喜び歌おう (詩編95編 .1)』 01/11/2004

「主に向かって喜び歌おう。
救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。」
(1節) 

 これは、礼拝へ招きの言葉です。
イスラエル共同体の礼拝生活は、荒野の生活の中で形成されました。その生活の中で、このような招きにふさわしい気分で礼拝を始めたことがどれほどあったでしょうか。おそらく、エジプトを脱出させていただいた当座の時以来、「喜び歌う」気分ではなかったと思います。むしろ、目前の課題や困難に関心を奪われて、「礼拝どころではない」としばしば思ったのではないでしょうか。人間の気分という点から言えば、これほどふさわしくない招きの言葉はないでしょう。  

 しかし、わたしたちの弱さから言えば、これは実にふさわしい招きの言葉です。神から受けた恵みをすぐに忘れ、自分へのこだわりや関心の中にすぐにとらえられて沈み込んでしまうのが、わたしたちの信仰だからです。
 
主を真実に礼拝するためには、主の御臨在と恵みに対して目を覚まさなければなりません。(ヘブライ11:6)

 エジプトを脱出させていただいた時に、イスラエルの民はまさしく「喜び歌い」「喜びの叫びをあげました。」(出エジプト15章)しかし、水がなくなって、喉が渇くと「果たして、主は我々の間におられるのかどうか」と言い始めました。(出エジプト17:7)あれほど主を讃美して大喜びしていたのに、簡単に恵みを忘れ、目前の課題に関心を奪われて、礼拝どころではなくなってしまったのです。このような忘恩と自分へのこだわりを離れて、主に向かって目を覚ますために「喜び歌う」のです。

 今が何であれ、「主は我々の間におられる」と認めることから礼拝は始まらなければなりません。