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『わたしの内にあるものはこぞって・・』(詩編103編 .1)
自分の過去を悔いたり誇ったりするのは簡単なことです。現在の状況に不平不満を持ったり、得意になったりするのも同様です。あるいは、将来に対して期待と不安を抱くのもよくあることです。しかし、この詩編の信仰者は、そのようなものには心を留めず、自分の魂に賛美を命じます。
「わたしの内にあるものはこぞって聖なる御名をたたえよ。」(1節)言い換えれば、自分の魂に賛美のくびきを課しています。そして、彼の置かれている状況が順境であるにせよ、逆境であるにせよ、彼が心を向けるのは賛美にふさわしいものばかりです。「主の御計らい」(2節)、「罪の赦し」「病の癒し」(3節)「贖い」「慈しみと憐れみ」(4節)「長らえる限り良いものに満ち足らせ、鷲のような若さを新たにしてくださる。」(5節)
キリストは「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い」と言われました。(マタイ11:30)キリストもまた賛美のくびきを負っておられました。賛美のくびきを負っておられた御方の引っ張っておられた荷には、悔いも誇りも、不平不満も得意も、期待も不安もありませんでした。
賛美のくびきを負うことが、重苦しく安定しない人生の荷を軽くする道です。
「父がその子を憐れむように、主は主を畏れる人を憐れんでくださる。」(13節)
主に忠実に従った人々に関して、聖書は彼らの罪や恥の記録を隠しません。そのことは、彼らが主の憐れみを受けた人々であることを証しています。主の慈しみと憐れみは、彼らの罪よりも大きかったのです。(8、11節)
信仰によって安定した生き方をする人とは誰でしょうか。
風が強く吹きすさぶ時にも、その「内にあるものがこぞって」主の憐れみをたたえている人でしょう。(参考 ヤコブ1:2−8)
賛美のくびきを負うことを学んで参りましょう。