<< Prev.
Top
Next >>

『すべてを喪失した者の祈り』(詩編102編 .2) 04/18/2004

 「後の世代のために・・書き記されねばならない」のは、主が「すべてを喪失した者の祈りを顧み、その祈りを侮られなかった」ということです。(18−19節)
 
「すべてを喪失した者」は、何も無いところから何かを求めて祈っています。それも、ようやく祈っているのです。そして、それ以上のことは何もできません。しかし、そのような者の祈りを顧みて侮られない神がおられます。

 「すべてを喪失した人」の祈りは、どのように答えられたのでしょうか。
彼は、希望に満ちた未来を見ました。(16、17、20−23節)彼が生きていた現実の状況は、おそらくバビロン捕囚です。それは、主によって見せていただいた未来とは全く正反対のような状況です。しかし、彼は確かに希望に満ちた未来を見たのです。そして、「すべてを喪失した者の祈り」を顧みて侮られることのない主を賛美しました。賛美を失わなければ、すべてを喪失してもなお希望があり、自分たちの存在意義があります。
「主を賛美するために民は創造された。」(19節)

 彼は、驚くべき信仰によって終わりの日に実現する御国の姿を見ています。(16、23節、参考 黙示録11:15、21章)その日を見ている人にとって、何十年何百年生きようとも、キリストの救いにあずかって永遠の命を見ることがなければ、「道半ば」、「生涯の半ば」で取り去られるに等しいでしょう。(24−25節)
 その救いを見ることがなければ、それは「衣のように朽ち果てる」天地と運命を共にすることに他ならないからです。(26−27節)しかし、
変わることなく、終ることのない主の御前に固く立てられることを確信して、この詩編は閉じられます。(28−29節)

「主はすべてを喪失した人の祈りを顧みられ、侮られませんでした。」(18節)