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『主の御前に思いを注ぎ出す貧しい人』(詩編102編) 04/11/2004

 この詩編は、「心挫けて、主の御前に思いを注ぎだす貧しい人の詩」です。(1節)この「貧しい人」は、主の御前に思いを注ぎ出します。主の他に誰も、彼のすべての思いを受けとめることのできる御方はいないからです。

 「主よ、わたしの祈りを聞いてください。」(2節)
 祈り始めた「貧しい人」は、すでに答えを得ています。少なくとも、主が自分の祈りを聞いてくださる御方であると信じています。そうでなければ、挫けた心が祈り始めることはできないでしょう。「思いを注ぎ出す」のは、
主なる神への深い信頼があるからです。

 注ぎ出された「思い」を一言で言うなら、自分には何の望みもないということです。彼は、自分の生涯を「消え去る煙」「移ろう影」「枯れていく草」にたとえます。(4、12節)しかも、苦痛は心身ともに厳しく、「炉のように焼ける」のであり、「草のように乾く」のです。(4、5節)そして、「廃墟のふくろうのように」孤独です。(7節)主なる神の御前に注ぎ出すより他に、彼には救いがありません。

 「貧しい人」の希望は、主にあります。(13節)
主の憐れみと約束のみが、彼の希望です。(14、15節)「あなたの僕らは、シオンの石をどれほど望み、塵をすら、どれほど慕うことでしょう。」(15節)キリストは、このような人々について、こう宣言されました。

 「貧しい人々は幸いである。神の国はあなたがたのものである。」(ルカ6:20)

 いかなる時も気力を失い疲れ果ててしまわないように、「貧しい人」の幸いを約束されるイエス・キリストのことをよく考えましょう。そして、自分の信仰を働かせて、思いを主の御前に注ぎ出しましょう。そこから、「貧しい人」の希望は始まります。