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『いかに楽しいことでしょう (詩編92編 .1)』
「人の主な目的は、・・・永遠に神を喜ぶことです。」
(ウエストミンスター小教理問答第1問)
「いかに楽しいことでしょう。主に感謝をささげることは、
いと高き神よ、御名をほめ歌い、朝ごとに、あなたの慈しみを、
夜ごとに、あなたのまことを述べ伝えることは。」(2、3節)
これは身震いするほどの喜びを表しています。こんな喜びは、人間がいかに意欲を燃やし努力したところで、獲得することはできません。これほどに神の御業を喜び楽しんでいるのは、主が喜び祝わせてくださるからです。不思議な喜びです。
「主よ、あなたは御業を喜び祝わせてくださいます。わたしは御手の業を喜び歌います。」(5節)
「神を喜ぶ」ことと「神を信じている自分を喜ぶ」ことは違います。神を信じて「あのこと、このことが起きた」「あのこと、このことができるようになった」「このように自分が変わった」ということは確かに大きなことでしょう。しかし、そんな喜びは「朝ごとに」「夜ごとに」喜ぶほどのものではありません。この詩編の信仰者は何を喜んでいるのでしょうか。
「朝ごとに、あなたの(主の)慈しみを」喜んでいます。そして「夜ごとに、あなたの(主の)まことを」喜んでいます。(2,3節)
信仰の喜びは、自己実現の喜びではありません。むしろ、自己否定の喜びです。自分ではなく神を喜ぶことこそ、信仰者にとって最も基礎的な知識の一つです。
「主よ、御業はいかに大きく、御計らいはいかに深いことでしょう。愚かな者はそれを知ることなく、無知な者はそれを悟ろうとしません。」(6節)