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『主に申し上げよ (詩編91編 .2)』
「いと高き神のもとに身を寄せて隠れ、全能の神の陰に宿る人」とは、どのような人のことでしょうか。(2節)人の目から見て、そのように見えるかどうかは問題ではありません。大切なのは、主に対して真実に告白できるだけの自覚的な信仰があるかどうかです。人に対してではなく「主に申し上げよ」と命じられています。
「主に申し上げよ
『わたしの避けどころ、砦、わたしの神、依り頼む方』と」(2節)
「彼はわたしを慕う者だから、彼を災いから逃れさせよう。
わたしの名を知る者だから、彼を高く上げよう。」(14節)
神を愛して慕う者でなければ、神から災いを逃れさせていただいても、それを救いとは思わないでしょう。パウロはキリストを信じたことのゆえに多くの苦しみを経験しなければなりませんでした。(使徒9:16)しかし、決してそれを災いとは思わず、むしろ自分がどれほど大きな災いから救われたかを心から感謝していました。また、神の御名を知る者でなければ、神によって高く上げられてもそれを名誉とは思わないでしょう。自分の落ち度によってではなく、神の御名のためにののしられ迫害されることは、この上ない名誉だと教えられています。(マタイ5:11−12)初代教会の使徒たちは、確かにこのことを心から信じていました。(使徒5:17−42)
主は、そのような人々の生涯を満ち足らせてくださいます。
また、人間が自分勝手に考える「救い」ではなく、主が定めたもう「わたしの(主の)救い」を見せてくださいます。(16節)
主に対して真実に告白できる自覚的な信仰を求めて参りましょう。
そのような信仰を持つ人こそ「全能の神の陰に宿る人」です。