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『あなたの慈しみに満ち足らせ・・(詩編90編 .3)』
「朝にはあなたの慈しみに満ち足らせ、生涯、喜び歌い、喜び祝わせてください。」(14節)
荒れ野の四十年は、神の恵みを鮮やかに証ししていました。「(主の民の)着物が古びず、足に履いた靴もすりへらなかった」のは、神の恵みです。(申命記29:4)しかし同時に、その旅は神の御怒りの下にありました。(民数14:22−25)神の恵みによって生活が支えられても、「御怒りに消え去る」人生には、本当の希望がありません。「生涯の日を正しく数えるよう教えてください」と祈った信仰者は、続いて「あなたの慈しみに満ち足らせてください」と祈り求めました。そして、一日の初めである朝から、「生涯、喜び歌い、喜び祝わせてください」と祈りました。(14節)神の御怒りではなく、神の慈しみと喜びがすべてであるような毎日を祈り求めたのです。
この祈りは、主イエス・キリストの贖いによってすでに成就しています。しかし、そのことは信仰によって確認する以外の仕方では喜ぶことができません。(参考ローマ5:6以下等、ヘブライ11:1)
「わたしたちの手の働きをどうか確かなものにしてください。」(17節)
主の慈しみに満ち足りて喜んでこそ、このような祈りを真実に祈りつつ歩んでいけるでしょう。「わたしたちの手の働き」がどのように用いられるかを全く主にお任せして喜ぶのです。
キリストに結ばれて喜んでいる人にとっては、この祈りもまたすでに成就しています。
「主に結ばれているならば、自分たちの苦労が決して無駄にならないことをあなたがたは知っているはずです。」(第一コリント15:58)