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『わたしたちの宿るところ (詩編90編 .1)』
「主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。」(1節)
アブラハムから始まるすべての世代にわたって、主が「自分たちの安心や保護や養いを求めることのできる家のようなところ」だとする信仰が言い表されています。実際のところ、信仰の父祖であるアブラハムも、イサクも、ヤコブも、約束の地を転々としながら生活しました。まさしく「他国に宿るようにして」約束の地に住んだのです。(ヘブライ11:9)ヤコブの時にエジプトに移り住みましたが、そこは何百年住もうとも安住の地ではありませんでした。さらに、そこを脱出して導かれた荒れ野にも安住する家などありませんでした。こんな生活を喜べる者がいるとするならば、それは主を「わたしたちの宿るところ」と信じて満足する人々だけだったでしょう。
アブラハムもイサクも「満ち足りて」死んだと書いてあります。(創世記25:7、35:29)ヤコブも、そのような「先祖の列」に加えられるように強く願って死にました。(創世記47:29−33)この詩編は、父祖の信仰にならいながら、エジプトでの430年と荒れ野の40年を踏まえて、「主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ」と讃美します。
「山々が生まれる前から、大地が、人の世が、生み出される前から、世々とこしえに、あなたは神。」(2節)
単に創造主を讃美しているのではありません。
わざわざ、人が不変で確かなもののように感じているものと比較しつつ、神の不変の確かさを讃美しています。そのように変わることなく確かな神を「代々にわたしたちの宿るところ」と言い表すことのできる民はとこしえに幸いです。