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『勝利の叫びを知る民 (詩編89編 .3)』
「いかに幸いなことでしょう。勝利の叫びを知る民は。」(16節)
「勝利の叫び」とは、「祭りの日の喜びの声」(新改訳)です。すなわち、神の勝利を喜び祝う讃美の叫びです。そのような讃美を学んだ民の模範を使徒パウロの「勝利の叫び」に見ることができます。(ローマ8:31−39)彼の幸いは、自分の富、健康、名声の中にはありませんでした。驚くことに、自分の身の安全の中にさえありませんでした。それらの一切を手に入れても、神の勝利を自分のものとして喜び祝うことができなければ、彼にとってそれに勝る損失はなかったでしょう。「わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています」(ローマ8:37)彼の目は、神の勝利がもたらす「重みのある永遠の栄光」に注がれていました。それゆえ、すべての艱難を「軽い一時の艱難」と呼びました。(第二コリント4:17)このような人を不幸にするものは何もありません。
「勝利の叫びを知る民」とは、福音のもたらす幸いを学び知った人です。
「主よ、御顔の光の中を彼らは歩きます。」(16節)
主に従うことは、必ずしも愉快なことではありません。信仰生活の中において失望や落胆を完全に避けることなどできません。また、そればかりではなく、多くの難しさをも覚悟しなければなりません。(第二テモテ3:12、ヨハネ15:20)だから、「勝利の叫びを知る民」でなければ、喜んで主に従うことができないでしょう。約束されているのは、万事が都合よく進展することではなく、「御顔の光の中」を歩むことです。
「勝利の叫びを知る民」は、いかなる時にも神の御顔を暗闇の中に見失うことはありません。
これが彼らの幸いであり、わたしたちに約束されている幸いです。