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『慈しみとまことは・・・(詩編89編 .2)』 10/05/2003

 わたしたちが聖書に向かう時、どのような方向性をもって神を知ろうとしているかがこの上なく重要です。神の全能を知ること自体は、必ずしも幸いなことではありません。その全能の力が、わたしたちを滅ぼすために用いられるとしたなら、神の全能を知ることに何の意味があるでしょうか。もし、そうであるなら、神を知れば知るほど惨めになるだけです。聖書は、救いの啓示(福音)です

 この詩編は、神の至高の権威と権力を讃えています。
「・・誰が主に並びえましょう。」「・・誰が主に比べられましょう。」(7節)
「・・誰があなたのような威力を持つでしょう。」(9節)
また、神の
「驚くべき力」「御腕の力」「力強い業」に心を向けています。(6−14節)
 しかし、
あくまで「主の慈しみ」と結びついた事柄として目を向けているのです。
 
「主よ、あなたの真実はあなたを取り囲んでいます。」(9節)
「正しい裁きは御座の基、慈しみとまことは御前に進みます。」(15節)
どんなに神の力と裁きを恐れるとしても、この上ない親しみをもって神に近づくことが許されています。主の契約は真実であり、それは主のとこしえの慈しみを示しているからです。主の力と裁きは大いに恐れるべきものです。しかし、そこにこそ驚くべき希望があります。