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『わたしたちの救いの神よ (詩編85編)』
「主よ、あなたは・・・ヤコブの捕われ人を連れ帰ってくださいました。」(2節)
これは、バビロン捕囚からの帰還のことを讃美していると思われます。それは喜ばしい出来事でしたが、帰還後の生活は決して楽なものではありませんでした。神に向かって「あなたの民があなたによって喜び祝うようにしてくださらないのですか。」(7節)と問いたくなるようなものでした。主は、その民に対して「平和」を宣言しておられましたが、その民が再び「愚かなふるまいにもどらないように」訓練しつつ導いておられたからです。(9節)主は、恵みの価値が分かるように鍛錬しつつ、恵みを与えてくださいます。
主の恵みは、実に尊いものです。しかし、尊いものは、その価値が分かるものに与えられなければなりません。「真珠を豚に投げてはならない」と教えられているとおりです。(マタイ7:6)
祈り続けることこそ、主要な信仰の鍛錬です。
目に見えるものに目を奪われず、見えないものに目を注ぎながら祈り続けることこそ、神への信頼の表現です。一度や二度祈るのには、大した励ましや支えも必要ではないでしょう。しかし、現実に失望せず、見えないものを求めて喜びつつ祈り続けるためには、どれほどの支えが必要でしょうか。この詩編は、すでに示された神の憐れみから目を離さず(2−4節)、すべての希望を神に託して(9−14節)、祈っています。(5−8節)
このような祈りの鍛錬こそ、恵みを恵みとして受けるにふさわしい者へと、わたしたちを成長させます。良きものはすべて、神から与えられます。「慈しみとまこと」も、「正義と平和」も、主が必ず与えてくださいます。(11−13節)
しかし、そのような恵みの価値がよく分かるようになるためには、祈りの鍛錬を経なくてはなりません。