| << Prev. |
『御顔の光を輝かせ・・ (詩編80編)』
「・・わたしたちを連れ帰り、御顔の光を輝かせ、
わたしたちをお救いください。」(4、8、20節)
この詩編では、この祈りが3度も繰り返されています。
これは、大胆な祈りです。
「(神の)御顔の光」は、人間に自分の罪と滅びを意識させる光でもあるからです。
イスラエルの民は、「御顔」を仰ぐどころか、神と語り合ったモーセの顔の輝きさえも恐れました。(出エジプト34:29−35)旧約の信仰者たちの中で最善の者でさえ、主を見た時には、自分の滅びを意識しました。「災いだ。わたしは滅ぼされる。・・わたしの目は、王なる万軍の主を仰ぎ見た。」(イザヤ6:5)
それにもかかわらず、この詩編は、なぜこれほど大胆に「御顔の光」を求めているのでしょうか。
自分の清さに自信があるわけではありません。むしろ、神の怒りによって苦境に陥っていることを自覚しています。(5−6節)それなのに、大胆に「御顔の光」を求めるばかりか、「なぜ、その石垣を破られたのですか」と、神の御業を問うことさえしています。(13節)さらに、大胆に救いの要求を主に申し上げています。(2−4、8、15、19節)
この大胆さの源は、信仰者自身の中にはありません。ただ、神ご自身にあります。神が「イスラエルを養う方、ヨセフを羊の群れのように導かれる方」だからです。(2節)
本当に追い詰められる時にこそ、人は本当の拠り所を見出します。
神の怒りの中で、自分も、他人も、国も頼りにはなりません。(5節)
ただ、怒りたもう神の愛のみが拠り所です。