<< Prev.
Top
Next >>

『欺く弓で射た矢のように (詩編78編 .4)』 06/22/2003

 異教や偶像の魅力の一つは、人間の欲望のために利用できることでしょう。
イスラエルの民は、エジプトを出てまもなく偶像を欲しがりました。(出エジプト32:1−6)そして、金の子牛を拝んで、好きなように飲み食いし、喜びました。このような先祖と同じように、
主の民は何度悔い改めても、「欺く弓で射た矢のようにそれて」異教や偶像へと魅かれ続けました。(57節)

 イスラエルの民が神の契約の箱を利用して勝利を得ようとした時、神は「御力の箱がとりこになるにまかせ、栄光の輝きを敵の手に渡されました。」(61節、参照サムエル上4章)そして、「御自分の民を剣に渡し、御自分の嗣業に怒りを注がれました。」(62節)また、御力の箱を奪って、偶像と同列に置いて利用しようとした敵をも「撃って退かせ、とこしえに嘲られるものとされました。」(66節、参照サムエル上5−6章)
 
主の民であれ、その敵であれ、神こそが主です。
誰も、神を異教や偶像の神々のように利用することはできません。
そして、どんなに悔い改めても、「欺く弓で射た矢のようにそれて」いく者たちにとって、神の怒りと嘲りこそがふさわしいのです。

 しかし、唯一の希望が示されています。
主が
「御自分の聖所を高い天のように」建てられるのです。(69節)また、主が「僕ダビデを選び・・御自分の嗣業イスラエルを養う者と」されるのです。(70−71節)キリストは御自分の体を「神殿」と呼び、御自分を「良い羊飼い」と呼ばれました。(ヨハネ2:19−21、10:11)

「欺く弓で射た矢のようにそれていく」人間にとって、キリストのみが希望です。
神と共に永遠に真実に生きる希望は、ただキリストにあります。