| << Prev. |
『贖われた日を思い起こさず (詩編78編 .3)』
聖書の教える信仰では、「思い起こす」ということが重要な役割を果たしています。
イスラエルの民が「荒れ野で神に反抗し、・・・繰り返し神を試みた」のも、「敵の手から贖われた日を思い起こさなかった」からです。(40−42節)
しかし、「思い起こすこと」が今の生活とどんな関係があるというのでしょうか。
この詩編でも、「贖われた日」のことが具体的に思い起こされています。(43−51節)単に昔の出来事を確認するだけなら、退屈な御話にすぎません。
しかし、そこには、御自分の民に対する神の力強い愛が示されています。「神は御自分の民を羊のように導き出し、荒れ野で家畜の群れのように導かれた。」(52節)
その民が神を信頼している限りは、たとえどんなに強い敵が迫ってきても、恐れる必要はありませんでした。(53節)さらに、その神に導かれて、今日の場所に生活するようになったのです。(54−55節)
「贖われた日」を思い起こすことによって、わたしたちは神の御心と御力を知ります。それは過去のことであると同時に、現在のことであり、未来のことでもあります。
昨日のキリストを知ることは、今日のキリストを知ることだからです。
「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」(ヘブライ13:8)
神の御心と御業を「思い起こす」ことによって、わたしたちは神を知ります。
神を深く知って、神に心を定め、信仰に基づく安定した生き方を学んで参りましょう。