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『心を確かに定めて (詩編78編 .2)』 06/01/2003

 全能の神との契約関係にあることは、人間にとってこの上ない光栄です。契約を結ぶほどに、神から認められているのです。しかし、聖書が繰り返し示しているのは、人間がその契約に耐えられなかったということです。「彼らの心は神に対して確かに定まらず、その契約に忠実ではなかった。」(37節)

 契約の義務を機械的に果たすことはできません。神に対して「心が確かに定まって」いなければならないのです。神の契約こそが「命と幸い」の道だと、神は宣言されます。反対に、この契約に背くことは「死と災い」の道です。(申命記30:15−20)どのような状況に直面するにせよ、何が与えられるにせよ、与えられないにせよ、「命と幸い」を与えようとする神の御心に対して、心が確かに定められていなければなりません。そうでなければ、この契約の義務を果たすことはできないのです。

 イスラエルの民の心は、いつも神から与えられるものや直面する状況に置かれていました。(19−20節)彼らは「神の驚くべき御業」を何度見せられても、神の御心を学べず、悔い改めて神を信じることができませんでした。(32節)「神は岩、いと高き贖い主」と唱える時でさえ、状況に迫られてのことでしょう。神は彼らの心が真実ではないことを見抜いておられました。(36節)

 「それでもなお、神は・・・天の扉を」開くことをやめず、「憐れみ深く、罪を贖われる」のです。(23、38節)

 このような神に心を確かに定めずに、どこに心を置くべきでしょうか。
イスラエルの失敗に学んで、
神に対して心を確かに定めましょう。