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『わたしは主の御業を思い続け・・(詩編77編 .2)』 05/18/2003

 どのような状況にあっても、すべての道で神を認めることが、信仰者にとってふさわしいことです。(箴言3:6)神に近づけば近づくほど自分の罪やあやまちが思い起こされるとしても、です。
 この詩編の信仰者は、苦難の原因を「いと高き神」に帰しています。(11節)
「いと高き神の助けがないから、今の苦難があり、それを克服できないほど弱くなっている」と言っているのです。しかし、その背後には、「神の右の手がわたし支えるならば、この苦難を克服できる」という積極的な信仰が秘められています。

 そこで、この信仰者は歴史に刻まれた「主の御業を思い続け」ます。「ひとつひとつ口ずさみながら」丁寧に思いめぐらします。(12‐13節)その結果、改めて見出すのは、何ものにも比べることのできない「すぐれた神」です。(14節)
神は、いつも御自分の民に対してこの上なく憐れみ深く、力強い御方でした。(15‐21節)

 自分の「移り変わりやすい心」や「手の幅ほどの生涯」にあらわされたものによってしか神を認めようとしないのは、愚かなことでしょう。そのような態度にとどまり続けるなら、大いなる永遠の神を見失ってしまいます。この詩編の信仰者は、歴史に刻まれた主の御業を思い続けることによって、信仰の希望と喜びを回復しました。

「わたしは主の御業を思い続け、あなたのなさった働きをひとつひとつ口ずさみながら、あなたの御業を思いめぐらします。」(12‐13節)

「あなたはモーセとアロンの手をとおして、羊の群れのように御自分の民を導かれました。」(21節)